万葉集にも大島を詠んだ歌が見える。山口県・地理

周防大島縄文時代や弥生時代の遺跡により、当時から周防大島に人間活動のあったことがわかっている。

『日本書紀』ではイザナミが生んだ大八島の一つ、7番目に生まれた島とされ、『古事記』にも同様の記述があり、古代の主要交通路だった瀬戸内海の要所だったことの表れと考えられている。

このほか『国造本紀』に大島国造が見える。

平城宮の長屋王邸跡から大島郡の物産であることを示す木簡が多く出土しており、長屋王の封戸が大島郡内に設定された可能性が指摘されている。

鎌倉時代初期までに屋代荘・安下荘・島末荘の3荘園が成立し、これらの地頭職として大江広元が任ぜられた。

治承・寿永の内乱に際しては、島末荘に平知盛が城塞を構築したとする記録が残されている。

室町時代には周辺海域に海賊が現れ、宇賀島衆と三島衆などの争いが繰り広げられた。厳島合戦以後、大島は村上氏と深いつながりを持つようになり、村上武吉の墓が内入の元正寺に置かれている。
update:2010年02月20日